板東三十三観音 茨城 栃木   平成21年2月8〜9日

 秋はいろいろな行事が重なって、父をお参りに連れて行けませんでした。
気にはなっていたのですが、残っているところは車でないと無理だし・・・と思っていたら
長男から「俺は一度もじいちゃんを連れて行ってないから行ってやるよ」との申し出。
寒い時期ではあるけれど、せっかくのチャンス、いざ実行!!

レンタカーをどこで借りるか?私ならなるべく近いところをと思います。
でも乗り捨てとなると、案外難しいのです。一昨年、和歌山から藤井寺までレンタカーを
使ったとき、借りるのに苦労しました。乗り捨てたい場所に営業所がないと借りられないのです。
なんせ、運転の下手な私ですから(^_^;)、1kmでも運転する距離を減らしたい。
息子は、父が歩かなくて良いように、東京駅の近くで借りればよいといって、ホテル共々手配して
くれました。ラクチン (^。^)v、こういう時、苦労しても子育てして良かったと思う現金な私(^_^;)。

常磐自動車道で26番札所から始めて、25.24.23.22.20番の6ヶ寺を回り、東北自動車道で
東京へ戻るコースにしました。本当は一番の難所、21番の日輪寺だけでも行って貰いたかった
のですが、冬の間は閉山でダメ(-_-)。

あらかじめ、インターネットのルート検索で所要時間を計算、本当に便利です。
私のパソコンではISDNで遅いので、実家に行って父のパソコンで検索。
日月なので、8日の東京は混んでないとしても、9日の夕方はなるべく早く都内に入るように
したいと思い、8日に4軒、9日に2軒という予定を組みました。ちょっときついかな?冬は
札所も4時には閉まります。なんとか滑り込みたいな。

26番札所  清瀧寺

 

猫が親しげにでてきてびっくり。「踏んじゃうよ」と言われてみれば、足元にごろ〜んと
寝転がっています。札所参りは初めての息子に「田舎でもね、でーんと大きな本堂が
あってびっくりするよ」と言ってあったけど、予想外にこぢんまりしお寺でした。

元は大きなお寺だったのでしょうが、本堂もその後の仮堂も火災で焼失、現在の
銅葺きコンクリートの本堂は昭和52年に再建されたそうです。
「地もと信徒の熱意により」とあるので、檀家はないのでしょう。
納経所には男性お二人がおられたが、ガイドブックに寄れば「老人会有志」の
方たちだそうです。

札所巡りをしていると、つくづく「寺院の栄枯盛衰、存続」の現実を突き付けられます。

  

仁王門は天保年間に再建、文化15年(1818)に仁王像再興、昭和44年に本堂が消失した折も
この仁王門は残ったが、仁王像の損傷が激しかったのを、平成12年、全国から寄付を集めて
修復したそうです。

途中「小野小町の墓所」などの表示が何度も出てきますが、平安時代に小野小町が
東北に旅する途中、清瀧観音に詣で、その折に病に倒れて小野源兵衛宅で亡くなったという
伝説の地だそうです。

25番札所 筑波山大御堂

清瀧寺から大御堂へは山道を通っていきました。スカイラインという名のついているところも
ありましたが、なるほど・・・という感じ。
近くまで行くと大きなホテルがいくつもあり、参道には土産物屋がずらり。え??札所が
こんな賑わい?と思ったらそうではなく賑わっている源は筑波山神社でした。

明治の初めまで、現在の筑波山神社のところには大御堂の伽藍があり、神仏同体であったが
廃仏毀釈ですべて破却。本尊の千手観音像はかろうじて仮堂に移されたが、昭和13年の
山津波で仮堂は埋没。昭和36年に民家を改修して現在の大御堂が建立されたとのこと。
先にお参りした清瀧寺もこの寺も、過酷な歴史を背負っているのですね。

 

鐘楼は平成13年に再建

24番札所 楽法寺(雨引観音)

ここはにぎやか、参拝者が大勢います。しかも正装したお宮参り風の家族の姿も見られ
観音堂には大勢の人が座っています。なるほど安産・子育ての祈祷所ととして知られている
だけのことはあります。

  

階段を上ると、立派な仁王門が見えます。最初の清瀧寺でも階段がたくさんありましたが
ここも階段を上らなくてはなりません。父にはちょっとつらい。
眺めはこの通りすばらしいです。

 

観音堂も立派な建物です。もうすぐ祈祷が始まるような雰囲気ですがその前にと
廻廊をぐるりと回ると、裏にクジャクがいます。
父が写真を撮ったのですが、目が悪いせいか、ハズレ(^_^;)
草しか写っていませんでした。息子の写真ができたら載せましょう。
でもクジャクが放し飼い (@_@;?)、びっくりしませんか?

そうこうしていると、別の建物から僧侶5人が観音堂へ向かって歩いて
来られます。太鼓の音と共に祈祷のお経が始まりました。

本堂もですが、境内にも大勢のお参りの人がいます。
日曜のせいもあるのでしょうが、前の2軒とはあまりに違う雰囲気です。
安産・子育ての祈祷やそのお礼のお参りの方たちでしょうね。

 団体用のこんな席までありました。後ろは多宝塔。


23番札所 観世音寺

唯一、お寺が見つからなくて近くのお店で尋ねました。

「目的地周辺です、探索を終了します」というナビの声にあたりを見回しても
それらしい姿は見えません。札所はどこのお寺でも、その近くの十字路などに
案内看板がありますが、ここは見当たりませんでしたし。

   
    
近所のお店で訊いて、たどり着きました。ここの階段はコンクリや石でなく、木の棒で
土留めをしてあるので、一段ごとの高さが違います。父がつまずいてしまいました。
指の怪我は大したことはありませんが、ワーファリンのせいで血が止まりにくいのです。
絆創膏を貼って応急処置をして本堂へ。

坐ってお経と御詠歌を唱えました。父がズボンをまくり上げるので見てみると
あれあれすねにも怪我をしてます。大きな絆創膏をベタベタと貼りました。

御朱印は横の部屋でご住職が書いて下さいます。朱印帳を渡してくださるとき
延命十句観音経をお唱えしながら渡してくださいました。こういうことは初めてです。
有り難かったです。

目標の4ヶ寺を回りきりました。それも予想よりだいぶ早いペースです。
5時にはホテルに着いてしまいました。
父の体力ではたとえ大きな伽藍だったとしてもゆっくり歩いて見て回るのは
無理です。今回は小さなお寺がほとんどだったので、拝観の時間も少なくて
済みました。その上、渋滞もなかったのですんなりホテルに着けて幸いでした。
それと予想外に暖かかくて助かりました。

22番札所 佐竹寺

水戸のホテルを出て、偕楽園などを横目で見ながら車を走らせます。

 

昨日も今日も平年よりはるかに暖かいけれど、朝9時半で曇りのせいか、ここでは
きりっとした冷たさが感じられます。境内の手水所では氷が張っていました。

 

本堂は天文15年(1546)再建だそうです。茅葺き屋根で凝った作りです。

20番札所西明寺

さあ、今回の最終目的地西明寺です。

  

 

閻魔堂内部。後ろの閻魔さんは笑ってます(^_^)。

予定終了、東京には夕方にならないうちに着きたいのですが、まだ昼前なので
真岡の駅へ寄ることにしました。駅舎がこんな形なのです。

 国鉄職員OBの父に見せてやりたかったので。

板東33観音の満願は難しいと思っていましたが、残るは埼玉の3ケ寺、日光の中禅寺、
群馬の2ケ寺と難関日輪寺とそれでも先が見えてきました。さてどうしよう・・・・。
とりあえず埼玉は現地でレンタカーを借りて日帰り参拝を計画してみようか・・・。