東日本大震災被災地を巡って 松島から石巻  26.10.16

今回は台風がちょうどこの日程と重なりそうで、間際まで頭を悩まされました。
当初は14日に石巻まで行ってしまい、15日朝から石巻市内を回って、昼に松島へ着くという
予定を組んでいました。しかし、台風19号が14日に来そうな状態だったので、散々考えた挙げ句、
14日に仙台まで行き、15日午前に仙台を回ってから松島に行って御詠歌大会参加、
16日にオプションツァー参加後石巻へ向かうことにしました。
石巻では震災による地盤沈下で台風18号の時、道路が冠水したとニュースで耳にしたので
当初の予定では松島へ時間までに着けなくなると困ると判断したからです。

そのために、石巻のホテルをキャンセル、仙台を新たに予約、タクシー会社には日にちを変更
してもらいました。特に石巻観光タクシーには何度もお電話したので、担当の女性とはすっかり
おなじみになってしまいました。度重なる電話にもていねいに応対していただき、ありがたかったです。

御詠歌大会のオプションツァーは、松島湾を船で遊覧、瑞巌寺拝観、その後そのままバスで
仙台駅へ送ってくれるという行程で、私も事前申し込みをしてありました。

さて、14日に静岡を出発しましたが、被害の大きかった台風18号と違って、それほどの強さでは
なかったし、何よりも14日に朝にはもう静岡を通り越してしまい、傘も持たずに出かけることができ
ました。どうなることかと思ったのですがよかったです。

15日、御詠歌大会担当のJTBにオプションツァーの詳細予定時刻を確認し、石巻観光タクシーに
16日午前11:15に松島 瑞巌寺駐車場にきてくれるよう、連絡しておきました。
家を出る前にGoogle の地図を何度も見て確認しましたが、距離感などやっぱりつかめません。
10時に船上慰霊法要の船が乗船場に戻り、その後瑞巌寺拝観、11時に乗船場に集合、バスが
出発とのことでした。瑞巌寺入り口と乗船場は向かい側です。
ところが瑞巌寺駐車場は少し離れています。前日の電話では瑞巌寺駐車場で待っていてくれる
ようにタクシーに頼んだのですが、またまた電話して、乗船場に変更して貰いました。
荷物がなければ駐車場までくらい歩くのですが、なんせ大きなボストンバッグを持ってます。
最後まで変更変更で迷惑をかけました。

事前に

「海の見える病院 語れなかった『雄勝』の真実」
「津波からの生還 東日本大震災石巻地方100人の証言」

を買いましたが、後者は1/3くらいしか読むことができず、持っていきました。

タクシーは松島から東名(とうな)→野蒜 と進み、鳴瀬大橋を渡って矢本、航空自衛隊松島基地が見えました。
東名と野蒜の駅付近などへも行きたかったのですが・・・・。
石巻市内以外は説明はできませんとのことでしたが、運転手さんは松島からずっとあたりの様子を説明して
くれました。通る道々津波の前はたくさん家があったそうですが、セイタカアワダチソウばかりです。ガードレールが
ひしゃげていたり、家の土台が残っていたりしますが、どんな家並みだったかどうにも想像がつきません。



自衛隊基地では「ブルーインパルスが見えるよ」 格納庫がありました。

基地を過ぎてからは、より海岸に近い道を進み、石巻工業港(釜地区にある)に向かいました。
地盤が下がってしまって、大雨の時に水がはけなくなってしまったと運転手さんが言いましたが、確かに並行して
走っている道は私たちの進む道よりだいぶ下がっています。工業港タクシーの建物がありましたが、台風18号の時
道路が冠水して出庫できなかったと言ってました。
日本製紙の前も通りました。 

お昼は運転手さんの提案で石巻焼きそばを食べることにし、石巻元気復興センターへ連れて行って貰いました。
石ノ森萬画館が目の前に見えるところです。この辺りももちろん津波で冠水しています。



石巻焼きそばは麺がそばに近いような茶色をしていて、上に目玉焼きがのっており、ソースは好みでかけるのだ
そうです。

午後はまず日和山公園に行きました。小高い丘で神社があります。

  



見下ろした写真の正面にあるのが称法寺 大きなお寺ですが・・・ひどい状態。
やっぱりお寺が一番先に目につきます。

南浜町に向かいます。

 

津波の到達した高さのポールが立っています、6.9m

お経をあげようとしたのですが、観光バスが一台止まり、大勢の人が降りてきました。なんと「静岡市防災協会」、同じ
静岡市の人たちでした。この人たちのいるところでお経を?と迷っていると、運転手さんが近くにお地蔵さんがあるから、
そちらへ行きましょうとのこと、そこでお経をあげ御詠歌を唱えました。

  

NPO法人「お地蔵さんプロジェクト」で建てた物だそうです。
http://www.ojizosan.net/about



カメラを置いてお経をあげていたら、運転手さんが写真を撮ってくれました。後ろに見えるバスが、その静岡防災協会の
人たちの乗っているバスです。

  

門脇小学校


  

小学校の両側には大きな墓地があり、墓石はきれいにたっていました。

女川に向かいましたが、ここから40分ほどかかりました。

女川は運転手さんが津波にあった場所です。
女川町立病院(現在は女川地域医療センター)の手前の信号で地震にあい、車を高台に置いて、歩いて病院に向かった
そうです。病院の駐車場にいたところ、津波がそこまで到達したので、慌てて病院の外階段を上って逃げ、難を逃れたそうです。
一緒に駐車場にいた人は、病院一階に逃げ込んだため、行方不明だそうです。

駐車場で、当時の写真を見せながら、詳しく説明してくれました。
こんな体験談を聞くことができて、良かったです。それにしても人の命は紙一重、何が幸いになるか、災いになるか、
わからないものです。

   

女川病院、こんなに高いところにあるのに・・。

  

中央付近に横にうっすらと茶色の線が見えます。ここまで津波が来たそうです。運転手さんはこの外階段を駆け上った
とのこと。

 病院の敷地の隅に慰霊碑があったので、ここで読経しました。

浜へ下りました。

  

                                   七十七銀行女川支店職員慰霊 屋上へ逃げたものの12名が死亡

  

津波で倒れた建物、右はこの建物の土台部分です。液状化現象で倒れてしまったのではないかとのことでした。
女川病院が左写真ではこの建物の左側に、右の写真では右に写っています。



すっかり地盤が沈下してしまったけれど、元々は水の溜まっている底の部分が地面だったそう。

ここにスーパー「おんまえや」があって、社長も専務も亡くなってしまったと運転手さんが言ってました。
余談ですが、帰りの列車の中で「津波からの生還」の続きを読もうと開いたところ、なんとこのスーパーの
従業員の記録の所でした。当時店にいた職員のうち、助かったのはこの方だけだったそうです。

次は雄勝です。海岸端やちょっと山の中のうねうねした国道398号線の後は、県道238号線を進み、
石巻市雄勝総合支所へ行きました。県道へ折れてすぐの所の盛り土は小学校のあったところだそう。
支所の辺りから眺めた盛り土が雄勝病院の跡だそうです。病院も撤去されてしまったのですね。

大川小学校へ向かいます。運転手さんの友だちもお孫さんを亡くしたそうで、運転手さんの計らいで
花束を用意しました。

 

慰霊碑に花を供え、読経しましたが、悲しみに満ちた重い空気の中にいるような感じでした。
子どもたちの明るい声が響いていたでしょうに・・・。

 



同じ場所にある、こちらは地域の人の慰霊碑です。ここでも読経しました。

しばらく北上川沿いに進み、市中心部へと向かいました。二俣小学校と同じ所にプレハブでたっている
仮設大川小学校を通り過ぎ、南境の仮設住宅街を通りましたが、夥しい数でした。
住宅の壁に魚やたこなどの絵が描いてあります。同じ形の住宅があまりにたくさん並んでいるので
間違えないように絵を描いてあるんだよと、運転手さんがおっしゃってましたが、なるほどと思うほどの
多さでした。

  

市役所は元デパートだったそうで、市役所らしからぬピンク色です。

駅前の石巻市観光物産情報センターで、鯖缶などお土産と写真集を買いました。

運転手さんのリアルな体験を聞くことができ、またあちこち詳しく説明していただき、充実した半日を過ごすことができました。
帰宅した翌朝、窓の外を見ていつもと同じ景色であることに改めて感謝の気持ちがわきました。
被災地の方の苦しみを思い、日々できることを一生懸命やっていこうと思います。