駿河一国33観音巡拝その5


D(静岡)清水寺→霊山寺→鉄舟寺→臨済寺

一国参りもいよいよ最終回です。今回は35人が参加、天気は・・・雨は降らなかったけれど、風が
冷たかったです。

@19番札所 音羽山清水寺

 先ずはみんなで一枚。今日はゆったりスケジュールです。

観音堂にお参りし、御詠歌を奉納。
江戸時代駿府で時を知らせた鐘に由来する鐘楼。
由来については↓に詳しく載っていました。

http://www.asahi-net.or.jp/~KW2Y-UESG/kiyomizutera.htm
境内には句碑がたくさんあります。有名な句では
「駿河路や花たちばなも茶のにほひ」 (芭蕉)


A鷲峰山霊山寺

通称大内の観音様、今日唯一の難所です。急な山道を登らなくてはなりません。

杖がたくさん置いてありました。
大内ではほとんどが大木姓だそうだが、確かに後ろの墓地を見ると
なるほど「大木家」ばかり。
仁王の力石

解説は↓
坂を登って疲れた時この足跡を踏むと不思議に足の疲れがなおったものです。
力強い仁王様の足跡というので、これを踏むと足が丈夫になると言われています

http://www2.tokai.or.jp/marco/imatabi/9reizanji.html によると

参拝道は急な33の坂道を曲がって本堂にいたる。途中6基の丁石があり、六波羅密教を表す。
由来によると天平勝宝元年(749)、行基菩薩により創建されたたという古寺である。

そういえば途中に「1丁目」?だったかな、石印があり、いくつでお寺に着くのかな?と登りながら
話しました。

仁王門をくぐると観音堂もまもなくです。
この仁王門は室町末期1516年の作だそうです。

やれやれやっと着きました。
こんなに高いところにあるのです。

本堂外陣の天井には天女と竜の絵があります。天女は琵琶と笛をそれぞれ奏でています。

 帰る道すがら「まあ、たくさんのふきのとう!!」

B 鉄舟寺

静岡市の観光名所はまずは日本平と久能山東照宮。
その東照宮のある久能山には久能寺という大きな寺がありました。(私も知ったのは数年前(^_^;))
廃寺となった建穂寺同様に駿河の大寺として権勢を誇ったそうです。推古天皇の時に久能忠仁が
開山し補陀洛山久能寺と名づけました。国分寺が衰退したあとは駿河の仏教界をリードし、東国の
比叡山と言われるほど栄えたそうで、東寺は360坊を数え、僧兵1500人がいたとのことです。
今では想像もつきません。
以下http://www.asahi-net.or.jp/~KW2Y-UESG/jiin/kunouji/kunouji.htm から

嘉永年間(1225年頃)山麓からの失火によって類焼し昔の面影はなくなりました。
永禄十一年(1568)武田信玄は久能寺を近くの北矢部(清水市)現在の鉄舟寺に移し久能山上に城砦を築き久能城と称しました。
天正十年(1582)武田氏は滅び、駿河一帯は徳川氏の領する処となったので久能城も自然徳川氏のものとなりました。

そして家康の死後東照宮が建てられたわけです。

NHKの「風林火山」でもそのうち、武田の駿河攻めの場面が出てくるでしょう。楽しみです。ちなみに
久能山には「勘助井戸」があります。

前置きが長くなりましたが、鉄舟寺の前身は久能寺ですから文化財の宝庫、あの源義経が吹いたという
薄墨の笛もあります。

そしてこの鉄舟寺はうちの住職が小僧として中学時代を送った寺でもあります。

 

まずはお経と御詠歌。上右は山岡鉄舟の像です。


まずは本堂、その後お庭、宝物館などゆっくり拝見しました。

今日のお昼はごちそうです。
満願を記念して三保園ホテルで
いただきました。

これで駿河一国33観音は全てお参りしました。
今日の最後は札所ではありませんが臨済寺に参拝しました。

臨済寺

臨済寺は修行道場でもあるので一般の拝観は
できません。
本堂まではこの→階段を上るか、もう少しゆる
やかな姫階段を上るか、どちらかです。

 雲水さんにお抹茶をいただき、みんな緊張してます。

講演でお出かけになったいた老師様が私たちのために
早めに戻って下さったそうです。
私たちはみな仏性を持っている、けれどもそれを忘れてしまう、
観音巡りの旅は自分自身の仏に出会う旅、仏道修行の旅ですとの
法話をいただきました。

 茶室無想庵にもご案内していただきました。

こんなに高いところにある茶室です。

だんだん寒くなってきました。
5回にわたってお参りした駿河一国33観音、無事に満願を迎えることができました。