静岡県仏教婦人会夏期結集 吉野の旅

                                       平成21年6月11〜12日

夏期結集(かきけつじゅう)と名が付いていますが、実際には会員の親睦旅行で、毎年この時期に
行われています。行き先は東中西部方面を順に選び、今回は西。ちなみに昨年は中部で、身延山から
長野方面でした。
県内各地区から参加者を募り、バスは5台、160余名の旅行です。
私は吉野へは父と2005年に行っているので、正直なところ気乗りはしなかったけれど、役員をしている
以上行かないわけにはいかず・・・と低めのモチベーションで出発(^_^;)。

私たちのバスは清水で4名乗せて、静岡駅前へ。そして東名牧ノ原I.C.と掛川I.C.でそれぞれの地区の会員を
乗せ、浜名湖S.A.で5台が集結、一路西進。一日目はまさに吉野へ行くだけ。

如意輪寺

行程表を見たときに、如意輪寺と書いてあったので、出発前日にいったいどこにあるのかと
調べてみたら、何と吉野(^_^;)。てっきり途中のどこかにあるお寺かと思っていました。
ここは前回来なかったところです。

南北朝時代に、後醍醐天皇が吉野に都をおかれたのですが(と言ったって、実際に政治を
牛耳っていたわけではないでしょう(-_-))おられたのは吉水院であり、ここ如意輪寺には
お墓があり塔尾陵という名だそうです。

 

↑が塔尾陵、右は多宝塔。

ご住職の説明の後、宝物殿を始めとして境内を散策しました。
庫裡を通り抜けて奥へ進むと思ったより広い境内にびっくりしました。
ちょっと上ると多宝塔があります。
楠木正成・正行親子像や正行公髷塚、弁内侍の至情塚など後醍醐天皇にまつわるものが
いろいろあり、あやめがきれいに咲いていました。



これが山門、奥に見えるのは本堂でただいま工事中、入れません。
本来なら山門から入るのですが、バスの駐車場から歩いてくると山門は通りません。
「こちらを出ると駐車場には行けませんから帰るときにはご注意を」とご住職の一声。

御詠歌で最近習っている曲に「建武の忠臣藤房卿・・・・」とあります。
妙心寺二世微妙大師は、後醍醐天皇の側近であった、万里小路藤房なのだそうです。
社会で習った建武の中興、南北朝などが思い出され、妙心寺の歴史と頭の中で
つながってきました。ただ暗記してきたできごとが、こうして有機的につながると
おもしろいです。興味がわいたところで、この勢いでもう一度仏教通信講座のテキストを
おさらいしてみようか。

如意輪寺の拝観が済むとあとは旅館「竹林院群芳園」へ。
それにしても、吉野は山深いところ、本来大型バスでくるようなところではありませんね。
道が細くて運転手さんにも気の毒。旅館の駐車場へも、よくまあ5台も上手に停めたもの、
さすがプロ\(^o^)/。

竹林院は寺伝によれば、聖徳太子が開創して椿山寺と号し、その後空海が入り常泉寺と称したという。
1385年にに竹林院と改められた明治初年の神仏分離に伴い廃寺となったが、その後天台宗の
寺院として復興、現在は修験道系統の単立寺院。
庭園は群芳園と称し、豊臣秀吉が盛大に催した吉野の花見の折、利休に命じて造らせたと
言われます。
「竹林院群芳園」は古くは修験者たちの宿坊として利用されていたと言われますが、現在では
老舗旅館で200年前の建物に増改築を加えてあります。

というわけで、部屋にはバスもトイレも付いていますが、うーん、ちょっと無理な感じ。
昔の面影を残しつつ、現代の客にも満足して貰うのは難しいでしょうね。
もちろんバリアフリーでなく、バリアアリー・・・で、私たちは南館3階、風呂へ行くにも
食事に行くにも階段がたくさんで、足の悪い人は大変だったでしょう。

翌朝、4時に目覚めてしまい、そのまま寝付けなかったので6時前に起きて身支度し
朝食前に庭園を見て回りました。

 

 満開ではないけれどつつじが咲いて色を添えていました。

 

講をつくって大峯登山をしていたのでしょう、寄付をした講とそのメンバーの名前の
額がかかっていました。
若い頃は「講」なんて言われても理解できませんでしたが、今ではしっかりわかります (^。^)v。
以前訪ねたお宅には、富士登山の講の札がたくさんかかっていました。
他にも伊勢参りの講など、いろいろあったんですね。
右上の写真、中央付近遠くに如意輪寺と多宝塔が見えます。庭園からの眺めで
一番印象に残りました。

 

右は庭園から見た旅館の建物です。

朝食後は「金峯山寺拝観」「庭園を散歩、抹茶をいただく」の2コースに分かれて
行動します。へそ曲がりの私は単独行動(^_^;)。
金峯山寺は以前父とお参りしました。かといって2時間も旅館で過ごす気にもなりません。
庭園はもう見てしまいましたしね。

そこで前回行かなかった吉野水分神社まで上ることにしました。
竹林院から徒歩25分と書いてあります。
(前回は金峯神社までケーブルバスで上り、帰りはそこから竹林院までバス、
その後竹林院から歩いてロープウェイ乗り場まで下ったのです)

いざ行かん!!一本道だからいくら方向音痴の私でも迷うこともあるまい (^。^)v。

けっこうきつい上り坂です。途中、下ってきた車の女性に「がんばってね」と声をかけられました(^_^)。



途中、視界が開けるとすばらしい眺めです。
蔵王堂も見えます。そしてその上の方、白っぽく見えるのが町並みです。
来た甲斐がありました。

 

吉野水分神社(みくまりじんじゃ)に着きました。
大きい〜〜〜
門前にいらした地元の方とちょっとおしゃべりしてから中へ。

 

 

「豊臣秀頼が使用した輿で400年前の物」と書いてありました。
だけど、輿自体がかなり重そう。これを担いで長時間歩いた家来の苦労が偲ばれます。
長時間乗っている方も大変だろうけど(^_-)☆ 。
境内の一角にみやこわすれが咲いていました。

さて、戻ろうかと思いましたが、まだ8時半、思いきってこのまま上って金峯神社へ
行くことにしました。ここからさらに上り30分、いささかきついですが、前回父と
行った思い出をたどりたくなったのです。

人っ子一人いない静かな道を上り続けましたが、神社近くはかなり急できつかったです。
時間がないので、お参りしてすぐ下りることにしました。
前回はなかったきれいなトイレがありました。

 

神社入り口のバス停に、ちょうどケーブルバスが到着、お客さんが一人降りました。
神社への道は私が歩いてきた遊歩道と、バスの通る傾斜は緩いけれど距離の長い道が
あります。私はうっかりして、そのバスの道を下ろうとしてしまい、運転手さんに
「そっちは遠いよ」と注意されました。教えて貰って良かったです。
しかし、本当に方向音痴な私(-_-)。

時間がないので、下りは小走り。
ただ、行きに通り過ぎてきた高城山休憩所、眺めが良さそうなので寄ってみることにしました。
時間がないので、気が急きますが、遊歩道からこの休憩所までの坂道がまたきつい。
あえぎあえぎ上って、眺めてみましたが、期待したほどではありませんでした。

 

バスは10時出発なので、とことことことこおりていきましたが、「こんなきつい上り坂」だった
のか?と下りながら思いました。

すっかり汗をかいてしまったので、旅館に戻って着替えをし、バスに乗りました。

さてあとは安倍文殊院の参拝だけです。
駐車場が広ーーい、これはずいぶん参拝客が多いんだろうな?と同業なのでそんなことを
考えてしまいます(^_^)。

160人がそっくり入れる広間で薬膳料理をいただき、食後はお菓子と抹茶のサービス、
そしてご住職による法話をお聞きしました。宗旨は華厳宗、「魔よけ」の祈祷をするお寺で
日本三文殊の一つで、本尊は快慶作、7mもある獅子に乗った文殊像です。
3月までは合格祈願、そのあとはボケ封じで賑わうそう。
法話も「魔除け」の話で、私どもとはちょっと宗旨が違うなあ〜〜〜。

 

右は金閣浮御堂で1980年の作。

食後は本堂に行き、仏教婦人会ということで、内陣まで入らせていただき、間近に
文殊像を見せていただきました。般若心経をお唱えしましたが、太鼓を鳴らしながらの
祈祷風の読経でした。読経前の鳴らし物の「キンコン」の音が、私の耳にはチャイム風に
聞こえ、どんな形の鳴らし物なのか興味をそそられましたが、見えませんでした。

今日は暑いです。
境内には春咲のコスモスがたくさん飾ってありました。こんなに早い時期に咲くコスモスが
あることは知りませんでした。いろいろな種類があり、初めて見るものもたくさんありました。
冬は8000株のパンジーで干支を形作るそうです。

   

 

 

↑ このコスモス、これで開いてるのかしら?もっと開くのかしら?

全部鉢植えなので、今日のように日差しの強い日はちょっとかわいそうな感じです。
だけどこんなにしゃれたコスモスがあるなんて・・・。

吉野は静岡からバスで行くのはちょっと遠いですね。ピンポイントと言う感じの
旅行でした。お年寄りが多いので、トイレ休憩の回数も多く、時間もゆったりとったので
余計時間がかかりました。

さて、私も業務完了 (^。^)v

竹林院から金峯神社までは3kmか4km、ずっと上りだったので、けっこう体力あるなと
自画自賛したけれど翌日の筋肉痛はひどかった(;_;)。