その1 平成16年5月1日〜2日


出発(5/1)

 静岡ICに7時までに入らなければと、7時前に家を出る、混まなければいいな、と念じつつ、静岡ICより
入る。 浜松、新城と進み名古屋あたりで万博で混むではないか、と思っていたが順調に流れていた。
名神高速に入 り、一宮、大垣と進み多賀で食事、2時頃になった京都は無事にとおり、大阪に入る手前
で混んでいた。ラジオで吹田 ICで事故があったから渋滞中だという。現地に来てみると渋滞しているが
30分ほどで通り抜けること ができた。何処に事故があったか解らない。

三木JCTから神戸西ICで降り、神戸明石淡路有料道路に入り 、明石大橋を渡り、淡路島に入る。
与島SAで休み、写真を撮り(この前ラジオ体操旅行会のとき、ひさ子と来た) 、与島SAを出て、鳴戸
大橋を渡り、鳴戸北ICでガソリンを補給し(軽四は低燃費だ静岡からここまで走れた)鳴戸ICで降り
徳島へ向かう。5時過ぎである、ぼつぼつライトをつける頃となった。鳴戸から徳島までおよそ30分で
駅前に着くはず、駅前からカ−ナビ頼りで行ってみると解ったが駐車場が何処にあるのか、人に聞くと
裏側に あり有料と言う。預けて受付に行く。部屋を決めてもらって、部屋に行くが全くのビジネスホテルで
夕食は別で、 1Fにレストランあり、ここでお好みのものを食べる仕掛けである。なにをたべたか、覚えて
いないが、割り高だったような気がする。食事を済まして風呂に入って床に着く(9時頃と思う) 。

                   この時81歳。軽四で一人で走り続けて静岡から徳島まで  ふぅ、!(^^)!
                         
遍路第1日目(5/2)

1 霊山寺 

夕べはワシントンホテルプラザに泊った。今日から88ヶ所巡りである。7時頃出発、霊山寺の住所を
入力して、霊山寺 に向う。さすが88ヶ所の始めの寺だけあって衣装から菅笠、杖,お経入れ、何でも
整う。袖なしを買う。霊山寺にお参りする。 行基が聖武天皇の勅願により開いた古刹。本堂には
弘法大師が彫ったと伝えられる身丈4尺の釈迦如来像が安置されている。

 

  


2 極楽寺

 県道12号線から直ぐである。鮮やかな朱塗りの仁王門が特徴。この門をくぐると見事な日本庭園が
目の前に広がる。重要文化財に指定された阿弥陀如来像がある(拝観不可)

  

  

3 金泉寺

 弘法大師が訪れた際、境内から黄金の霊水が湧いたという伝説が有名。庭園には源平合戦の
戦勝祈願として弁慶が持ち上げた石も残る。

  


4 大日寺

 徳島道路(高速)超えて左に曲がらなければ良かったが、曲がったばかりに狭い道に入って、
途中は車幅いっぱいでこんな道間違いと気づいてから方向転換して高速道路際まで戻り、真っ直ぐの
道へ出て大日寺へ行く(カ−ナビに頼った結果)。大日寺の本堂は継体天皇(500年頃)開かれた、
阿波仏法最初の道場といわれており、大山(691m)の中腹にあります。それから約300年後
弘法大師が四国霊場開創の根拠地として堂塔を整え仏王山と名付け、恵果和尚から授かった
千手観音菩薩を安置したと言われます。

  

5 地蔵寺

 大日寺から南へ下り12号線に出る手前に地蔵寺がある。
御本尊は地蔵菩薩。嵯峨天皇の勅願を受けた弘法大師が1寸8分の(約5cm)の勝軍地蔵菩薩を
刻んで本尊とし開基。こうした小さな仏像は山伏など笈(おい)にいれて旅した、おそらく熊野修験が
寺の起源と見られている。

 

6 安楽寺

 地蔵寺より南下し直ぐ信号機で右折し12号線に入る、約4kmで右側に安楽寺がある。
古くから温泉があったこの地を訪れた弘法大師が温泉湯治のご利益を伝えた、全国でも珍しい寺で
山号を温泉山という。現世の病気や災厄を救ってくれるという薬師如来を彫り本尊とした。
現在の本尊は難病快癒のお礼に奉納されたもので、元来の体内仏としておさめられている。
寺内には、京都大仏師・松本明慶師が彫った仏像が33体も安置され、一見の価値ががある。

  

  

7 十楽寺

 安楽寺より12号線に戻り南進して信号機より東進して約3,5kmで十楽寺である。
 中国風の白と朱色の鐘楼門をくぐり、石段を登ると本堂が、その左手を上がると大師堂ががある。
人間が持つ生・老・病・死・怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦・五陰盛苦という八つの苦しみを阿弥陀
如来の慈悲により乗リ越え、極楽浄土の十の楽しみを得るようにと、十楽寺と名付けられた。

  



8 熊谷寺

徳島道(高速)の東側をくぐって土成ICの北側に出て間もなく熊谷寺がある。
 千手観音菩薩。弘仁年間(嵯峨天皇の代)に空海(弘法大師)がこの地のアカガタニで修行中に、
紀州熊野権現が現れて「永く衆生済度の礎とせよ」とのお告げとともに一寸八分の金の観音像を
授かった。そこで空海は一宇を建立し熊谷寺と名付けたのが寺の始まりと伝えられる。



9 法輪寺

 東進し国道318号線に出て南下し、徳島道(高速)の土成西側をくぐり県道14号線を西進
約4kmで法輪寺である。
 弘法大師が刻んだとされる本尊の釈迦如来像は、八十八ヶ所中ただ一つという涅般像で、
珍しい寝姿の仏像が祭られている。大師が白蛇と出会って開基したとの縁起から、もとは白蛇山
法林寺と号した。正保年間(1,644〜48)に火災により楼門を残して全焼、現在の本堂や大師堂は
明治時代に再建されたもの。

  

  

10 切幡寺

 法輪寺より県道12号線に出て西進し、末広の信号機を右折し北上する。徳島道(高速)を越すと直ぐ。
寺は山の中腹にあり、仁王門から333段の石段を上がると本堂があり、さらにその先、大塔へ続く。
切幡の名は、機織り娘の伝説に由来する。弘法大師が遊行中の弘仁6年(815年)衣が傷んだので
娘に繕いの布を求めると、織っていた布を惜しげもなく切り取ってくれた。その礼に娘の願いを聞き、
亡き父母のため一夜で千手観音像を刻み、娘に潅頂を授けると娘は観音菩薩の姿に変わったという。
本堂には弘法大師によって作られたという千手観音のほかに、機織娘が即身成仏となった観音
(秘仏)も安置されている。

11 藤井寺

 切幡寺より南下、徳島道(高速)を超えて県道237号線南下し、吉野川を渡り国道192号線の城山に
出る(信号)。東進し鴨島駅(JR徳島線)の南側の信号で南下して約2kmで西進し約1kmで藤井寺で
ある。ここは駐車料200円をとられた。参道が長くて骨が折れた。
 四国へんろ道は約1700年前に弘法大師が開いたと伝えられる、88ヶ所を結ぶ道で、お遍路さんが通る
道ということで、何時しか”へんろみち”とよばれるようにようになったのです。ここ11番札所藤井寺から
焼山寺にかけての”へんろみち”は”遍路ころがし”といわれる難所です。路傍には江戸時代末期から
明治時代にかけて作られた道標類が沢山残されており、このことは、その頃から盛んに霊場巡りが
行われてことを物語っています。  

  

12  焼山寺

 藤井寺から県道31号線に出て北上し、鴨島(JR徳島線)国道192号線だか県道240号線
(カ−ナビに頼っていたから解らない。)を東進、石井まで行き、20号線に曲り国道438号線にでる、
(これが遠くてうんざりした。) 西進して約3kmで右折県道43号線を北上約3.5kmで左折、これから
行けども行けども坂ばかりで、途中博子から電話あり今少しで焼山寺につくよ、といい電話を切り、それから結構かかった。セコでやっと登れる坂だった。昔の人は(今も)最大の難所といわれた”遍路ころがし”
大変だったと思う。
 だいぶ遅くなったので大日寺から井戸寺間で5寺はあと回しにするべく徳島へ帰ることにする。
途中暗くなる。

  

徳島ワシントンホテルプラザに泊まる、駐車場の案内人に81歳と言ったら吃驚していた。
受け付けにいってキ-を貰い、1Fのレストランで夕食を済まし入浴して9時00分就寝。
起床6時00分1Fのレストランで朝飯を食べて勘定をして駐車料を払って道を聞いて出発する。