その2  平成16年5月3日


18 恩山寺 

宿の人に聞いたところ、駅前の道路に出たら真っ直ぐに行けと言われたので、忠実に守って国道55号線
を超えて真っ直ぐ行ってしまい、おかしいと思って軽の女の子に聞いたところ、戻れという。
国道55号線を南下して約10km左に曲がれ(こういうときはカ−ナビはありがたい)のメッセイジの通り
いったら恩山寺に行けた。お参りする。
聖武天皇の勅願により、行基が厄除けの薬師如来像を自ら彫って本尊としたと伝えられ
諸人の災厄を除く道場となった。この寺は、もとは女人禁制の道場あったため、弘法大師がこの寺で
修行いた折、母の玉依(たまより)御前がはるばる訪ねてきたが会えなかった。そこで大師は母のため
一七日(ひとなのか)(1週間)瀧に打たれ修行し、女人解禁の秘法を修め晴れて母と対面できたとという。


19 立江寺

恩山寺から立江寺まで約3.8km田圃の中で道を間違え立江寺まで時間がかかった。
本堂は聖武天皇の勅願によって天平19年(747年)行基が開山。聖武天皇の皇后、光明皇后の安産を
祈願して一寸八分(約5cm)の延命地蔵尊を刻み本尊とした。そのため、後に子安地蔵として広く信者を
集めるようになった。

    

  

20 鶴林寺

 県道28号線(3.5km)信号機、県道22号線(2km)県道16号線(4.5km)久国で左折、山登りに入る。
約6kmで鶴林寺である。山頂まで4km余の急勾配の参道が続き、88ヶ所の中でも焼山寺に次いで
2番目の難所として知られている。この一帯は自然公園に指定されており、仁王門をくぐると、
境内は老杉におおわれ山岳霊場らしい幽玄な趣が漂う。桓武天皇の勅願により弘法大師が開基した。
大師がこの寺を訪れると杉(本尊降臨杉)の上で2羽の鶴が黄金の地蔵菩薩像を護っていたという。
そこで3尺(約90cm)の地蔵菩薩を彫ると、そこの胸の部分にこの部分にこの一寸八分(約5cm)の
黄金地蔵を納め本尊とした。

21 太龍寺

 鶴林寺から1.5kmで取り付け道路を終わり、県道12号線を0.3kmを走り那賀川を渡り282号線に出て、右折、約0.35km西進し右3.0kmで太龍寺。(別ル−トでロ−プウェイで登るル−トがある。)
標高600mの山頂付近にあり。桓武天皇の勅願により開基した寺で本尊の虚空蔵菩薩は
弘法大師が自ら刻んだという。西の高野と呼ばれている、弘法大師24歳のときの有名な”三教指帰”に
「19歳の時阿国太龍岳に登り虚空蔵求聞持の法を修し………」とあり、境内より南西方向へ600m
”南の舎心”がまさに大師の御修行の史跡である。

  

  



22 平等寺

 太龍寺から山を下り(3.5km)土佐中街道(国道195号線)出て東進約7.0km山口町で右折
284号線を南下し約3.0kmで桑野川を渡り国道の右側のお寺が平等寺である。
延暦11年(792)弘法大師が厄除祈願をしていると薬師如来が現れ、加持ををするための水を求めて
杖で掘ると乳白色の水が湧き上がり、その霊水で体を清め、薬師如来像を刻み本尊として安置したと
いう。この水によって人々が平等に救済されるにとの願いを込めて寺号をつけた。


  

  



23 薬王寺

 平等寺から1.2kmを走り阿南相生線(県道35号線)に出て約2kmで新野町(アラタノマチ)交差点にでる。
JR牟岐線の新野駅の徳島方を通り、土佐浜街道(国道55号線)を南西に15kmを走り、日和佐川を渡り
JR牟岐線ひわさの手前が薬王寺である。
聖武天皇の勅願によって行基が開基し、後に弘法大師が厄除けの薬師如来を刻み本尊として納めた。
以来、平城天皇に始まり嵯峨、淳和と天皇の厄除けの勅願所として栄えた。焼失、再建を繰り返し
現在の本堂は明治41年(1908年)の建立。

  

  



24 最御崎寺

 薬王寺を出て国道55号線を南西に約85km行った所に最御崎寺がある。寺間距離の最も長い区間で
ある。このあたりから雨模様になって来た。歩き遍路では1日歩いても達するところではない。
天候が良ければ、景色がいいなあ、などと思いながら軽4を運転した。最御崎寺をお参りして坂を
降りて灯台を見て(天候が良ければなあ)
 弘法大師が19歳の時、室戸岬の御厨人窟(みくろど)という洞窟で修行していたところ、空に輝く
明星が口に飛び込んだことで求聞持法(くもんじのほう)が成就したことを悟ったという。
大師の自叙伝『三教指帰(さんごうしいき)には「土州室戸崎に勤念(こんねん)す。
(略)明星来影す」とある。

  

 



最御崎寺を降りて県道に出てホテル富士がどこにあるか解らぬので、電話で聞くもはっきりせず、近くの
人に聞いたら、そこを左に曲がって直ぐというので、行くと直ぐ解った。
駐車場に車を入れて部屋に案内される。
ホテルとはいうものの、ちょっと・・・・。隣りの部屋に”因の島”の村上さん夫妻が泊まっていて話をした
ところ村上水軍の流れを汲む人で、私の行く所とは違うみたいだから通ることがあるだろうから寄ってくれ、と言って別れた。 10時15分就寝。