その3   5月4日

25 津照寺 

ホテルを7時半頃でて津照寺に向う。約6kmで室戸岬の先端から国道55号線に出て津照寺に至る、
55号から山道を登り約1kmで津照寺である。今日は天気がいい。室津港を見下ろす小高い丘にあり
124段の階段の急な石段を上がったところに本堂が立つ。途中、竜宮城を思わせる朱塗りの建物は
鐘楼門だ。開基は早く平安時代初期。弘法大師が海上安全を願って延命地蔵菩薩(別名、梶取地蔵)を
刻み、堂宇を安置したのが始まりとされる。

  

  

26 金剛頂寺

 津照寺の取り付け道路(1km)国道55号線に出て北西に上がり、約2kmで右折して約1.5kmにて
金剛頂寺がある。うっそうと繁る森に囲まれ、境内には県の天然記念物ヤッコソウが自生する。
嵯峨天皇の勅願により」、大同2年(807年)大師が、密教道場として創建。本尊の薬師如来は大師の
作といわれる。全盛期には今の室戸市の大部分に当たる3500石を領有した。長い石段を上がりきった
先に広がる境内には本堂、大師堂などが建ち並ぶ。本堂横の校倉造(あぜくらづくり)の霊宝殿には
多くの寺宝が収蔵されている。

  

27 神峰寺

 金剛頂寺から取り付け道路(3.5km)を55号線に出て北西に上がり、約24kmで右折して約4.5kmで
神峰寺である。車1台がやっと通れるような狭い山道を上がった標高450mの神峯山の頂上近くに立つ。
土佐の関所とも言われ、急勾配になっていき歩き遍路を鍛える。仁王門から本堂までは更に150段もの
石段がが待っているが、石段脇に広がる美しい日本庭園が疲れを癒してくれる。神功皇后が戦勝祈願の
ほか諸神を祭ったのが起源とされ、その後行基が十一面観音を刻み、本尊として安置。
大同4年(809年)さらに弘法大師が神仏合祀して札所として定めた。



28 大日寺

 神峰寺から県道22号線を約3.5km南下し国道55号線に出る。 土佐浜街道を(国道55号線)を
安芸蔚川、和食川を渡り、約32km”くろしお鉄道”の踏切の前県道に右折し1.1kmで土佐くろしお
鉄道の”のいち”の駅前を右折し22号線を1.7kmで取りつけ道路に入り0.4kmで大日寺である。
龍河洞への道筋は少し山側に入った三宝山の西麓あり、天平年間(729〜749)に聖武天皇の勅願に
より行基が開基したとされる。本尊は行基の作と伝えられる大日如来坐像である。しかし本尊より信仰を
集めているの爪彫薬師(つめほりやくし)のほう。この薬師如来は、生えている楠に爪で刻んだと言い伝え
られている。

29 国分寺

 大日寺を出て県道22号線を南下し、信号機で364号線を西進し”くろしお鉄道”の駅の西側で右折し
JR御免線の東側を北上し(県道45号線)川を渡り、次の広い道を左折し次の道を右折すれば直ぐ
国分寺である。
 正面に柿葺き(こけらぶき)寄棟造の清楚なただずまいの本堂を構えている。「諸国で最も良い土地を
選んで建てよ」という聖武天皇の勅願により天平13年(741)に、行基によって建立された。
聖武天皇自ら書写した金光明最勝王経を納め、天下泰平、五穀豊穣などを願った。後に弘法大師が
訪れて真言八祖相承の「星供」の秘法を修し、29番札所としたと伝えられる。

   



30 善楽寺

 国分寺を出て北上し、次の道を左折する(三叉路)。信号にでて国道32号線を突っ切り0.3kmほど
行くと県道257号線を左折し、そのまま高知道(高速)を2回くぐり約1.8kmで右折して0.15kmで
善楽寺である。土佐神社の奥にある善楽寺は、大同年間(806〜810)土佐一宮の別当寺として
弘法大師により建立された。明治の神仏分離・廃仏棄釈で一の宮は土佐神社になり善楽寺は廃寺に。
その後平成6年に、第30番札所は善楽寺となった。

  

31 竹林寺 

 善楽寺より南西に下り約1,2kmで信号機を右折し南東約3.5kmで県道に出て国道35号線で右折し0.7km
行って南下し竹林寺取りつけ道路に入り約1kmで竹林寺である。
 高知市街などを見渡す海抜145mの風光明媚な五台山の上に立つ。縁起によれば、聖武天皇が唐の国の
国の五台山に登って文殊菩薩を拝した夢を見たことから行基に唐の五台山に似た霊地を探して寺を建てる
に命じ、神亀元年(724)に行基自ら文殊菩薩を刻んで本尊としたのが始まり。その後、弘法大師が訪れ、堂
宇を整え四国霊場31番の霊場に定めた。

  

  

32 禅師峰寺 

 竹林寺を出て西へ進み県道に出る(1.5km)そのまま南下し約4.0km)最初のカ−ブは直進し
次のカ−ブの中ほどを右折する。1.2kmで左折し峰寺トンネルの西口の上を通り約2kmで禅師峰寺
である。 峰山の上にあるため「峰寺」や「みねんじさん」とよばれ親しまれている。神亀年間(724〜729)
聖武天皇の勅願により行基が開基。その後、大同2年(807)弘法大師がこの地を訪れ、土佐沖を
航行する船の安全を願って十一面観音像を刻んで安置した。観音菩薩の浄土といわれる補陀落山の
ように八葉の蓮台に似ているところから八葉山と名付け、大師が求聞持(きゅうもんじ)の法を修したこと
から求聞持院とした。行基が開いた峰の寺の意味で禅師峰寺と定めた。

   

  

 帰ることにする。大日寺以下5ケ寺ばかリ時間が足りなくて回りそこなったが、高知からフェリ−で
帰ることにする。禅師峰寺をでて県道14号線に出てはみたものの、カ−ナビの見方がわからない。
そこでジャンルを開いてフェリ−のりばを見たら、出ていたが17kmもあり高知湾の回りをぐるっと
回らなければならない、フェリ−のりばに着いて見ると(時間的には十分)まだ早いせいか、
前の食堂で夕食を頂いて8時頃乗船したが、歩いて乗る人を先に船に乗せたから、私達が乗った頃には
満員で寝るところも無いので、やむなく船底に下り車の中に寝ようとしたら、船員が来て車の中は困ると
言われたので、寝るところがないといったら、5トン以上の人の寝るベッドに案内してくれた。
これでやれやれ寝られる。朝6時頃大阪南港に着いた。外へ出てカ−ナビで静岡としたら名阪国道に
進路を取って名古屋まで行くコ−スである。それでも名阪国道の方が近いのでは、と思い、そのまま行く。
名古屋まではいいが名古屋に入ると、そのまま行けば南に出てしまうので、東名ICの近くで降りなければ
ならないが、カ−ナビではトンネル内なので、解らないので見当をつけて降りなければならない。

   

降りた所解らないので、ガソリンは無くなるし途方にくれて、広い道に出た所ガソリンスタンドがあったの
で、道を聞いたらと思い、聞いてみたら、広い道を右に曲がって間もなくといわれ、直ぐ名古屋ICに出た。
午後2時頃であった。上郷で昼食を食べ一休みして静岡に帰る。午後5時頃であった。