その4     第二回 平成16年9月18日〜19日


 JTBに頼んで宿を予約してもらい、2回目の88ヶ所巡りをした。
 朝10時までに東名静岡ICに入りたいと思い、急ぐ旅ではないので、多賀SAで一休みして大阪に行く。
豊中で降り、カ−ナビを頼りに大阪南港まで行ったが、途中誤って山陽バイパス(名前不明)に入って
しまい、2区間位走ってしまった。やっと大阪南港に到着。上の食堂で夕食を食べ乗船を待つ。
9時発なので時間を持て余し、あちこち歩く。時間になり乗船を始める、中はこの前と違って空いていた。
隣りの人が五月蝿かった。到着は少し 遅れて翌朝6時半頃になった。

 

フェリーにて高知到着。
左上の写真中央に「ようこそ、お多賀さんへ」の
文字が見える。(この写真では小さくて読めないが)


33 雪渓寺 

 フェリ−のりばから西進0.5kmで県道34号線に出る。信号機で右折南下し、約4.3km走り橋を越す前に
左折 し(信号機あり)川沿いの道を東進し左側に雪渓寺がある。
延暦年間(782〜806)に弘法大師が開基。寺宝に大師自ら刻んだいわれる大師像がある。
その後荒廃一途 をたどったが、廃寺の危機から復活させたのが月峰和尚である。月峰と面接のあった
長宗我部元親が寺を保 護することになり、元親の死後は法号にちなんで雪渓寺と改めた。

  



34 種間寺 

雪渓寺をでて県道34号線の下をくぐり、川沿いに西進し約50mで信号を右折して(県道36号線)5.5km
ほどで長谷 の信号に出る。右折して(県道37号線)約1.3kmで右折、約1kmで右側に種間寺がある。
敏達天皇(在位572〜585)の時代、攝津の四天王寺を建立するために百済から招かれた仏師たちが
帰国の 途中で暴風雨に遭い、近くの秋山に避難した。仏師たちは帰路の航海の安全を願って、
薬師如来を刻んで秋山 本尾山山頂に安置した。後に来山した弘法大師が、唐の国から持ち帰った
五穀の種を蒔いたことから種間寺と名付けられたといわれている。

 

 

35  清瀧寺 

 今来た道を西に曲がりすぐ右折し約1.2kmで県道36号線に出る。左折して1.5km
国道56号線(信号あり)を斜め左に曲がって仁淀大橋を通り1.3kmで右折。取り付け道路に入り
約2.2kmで清瀧寺である。
 医王山の中腹にある清滝寺へは、呼ばれる八丁坂と呼ばれる参道をみかん畑を縫うように上がって
いく。縁起では、行基が薬師如来を刻んで開創。その後、弘仁年間(810〜823)に訪れた弘法大師が、
寺の北の山中で修法を行い、満願の日に金剛杖で地面を突くと清水が涌き出て瀧となり、鏡のような池が
できたという。よって寺号を景山密院釈本寺から鏡地院清瀧寺へと改名したと伝えられる。

  

 

36 青龍寺

 清瀧寺より今来た道を戻り、約3.0kmで信号から右折して県道39号線に出て南下して、トンネル2ヶ所を
抜けて約5.5km、右折して県道23号線に出て1.5km左折して約1.8kmで取り付け道路に入り、約1kmで
青龍寺である。
 緑が深く、昼でもなお暗い石段を上がりつめると正面に本堂が立つ。お堂には海上安全の寺らしく船の
絵を描いた多くの絵馬が奉納されている。弘法大師は唐の青龍寺で恵果阿じゃ梨(けいかあじゃり)から
真言密教の秘法を授かり、報恩のため帰国して青龍寺を建立しようと発願。唐から仏具の
独鈷杵(とっこしょ)を東空に向け投げた。帰国した大師が四国巡錫中、この地で老松の木にとどまって、
いる独鈷杵を見つけ、嵯峨天皇(在位809〜823)に奉上し、不動明王を刻み堂宇建てたのが縁起。

 

 



37  岩本寺 

 青龍寺を出て約1kmで剣道47号線に出る。右折して約22km西進して(この間景色がいい)県道23号線に
でる。約6kmでJR土讃線を越え、1kmで国道56号へ左折して、約4kmで土讃線(とさいんじょう)駅前を通り
国道56号線(中村街道)を南下する。焼坂峠のトンネルをくぐり、土讃線を越して土佐久禮(とさくれ)の
駅前に出る。間もなく土讃線と離れて、再び影野(かげの)で土讃線と沿い、窪川(くぼかわ)の駅裏
(少し遠いから解らないかも)で、この間約32km信号で右折し(国道381号線)約1kmで左側に岩本寺がある。
四国霊場で唯一、5体の本尊を安置する寺。鎌倉時代に伊予に勢力を誇った越智氏の先祖を祀る
仁井田五社 の別当寺だった。縁起では、聖武天皇の勅願により七難即減・七福即生を願い七福寺を
建立したのが始まりという。後に弘法大師が5社5ケ寺を建立した。寺名を福円満寺と改め、それぞれに
本地仏を安置し、星供秘法を修めて第37番札所と定めた。この5仏が岩本寺の本尊である。
大師堂には伝説にまつわる「矢負の地蔵」が祀られている。

  

  

38  金剛福寺 

 巌本寺を出て国道381号線を戻り、右折して国道56号線に出る。約45kmで四万十川を渡り国道321号線
に出て左折して四万十川の右岸を走り、約28kmで足摺スカイラインに入り、県道348号線を南下して**に
入り8kmで県道27号線に出て、右折して約2.5kmで右側に金剛福寺がある。今日は天気が良かったので
快適であった。
 第37番札所岩本寺から歩いて100kmとものの本には書いてあるが、地図の上ではどう見ても85km程度
しかないと思う。(車のキロは見てない)
 広大な敷地の境内へ入る。嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅額を賜った弘法大師が、足摺岬に巡錫し、
自刻の三面千手観世音菩薩を安置して建てたと伝わる。平安時代後期には都にも聞こえるほどの信仰を
集めた。源氏一門との縁も深く、多宝塔をはじめ諸堂が寄進され、中世には土佐最大の寺院として栄えた。

 

 

  

  

  

 今夜の泊まりは足摺園であるが、カ−ナビ頼りであるので、スカイラインを通ってきたのか、
県道(海岸)を通って来たのか、解らんので、どうも違うらしいので、電話し見たら電波の具合が悪く話が
出来ないので、もう少し電波のいいところを選んでかけたら、どうもスカイラインを通ったらしい。
右左反対であったと思い、宿に着いた。食事はまあまあであった。宿は親切であった。
部屋から海が見えて良かった。