その6    平成16年9月21日


45  岩屋寺 

 研屋出て国道56号線を左折して肱川橋を渡り写真屋でスマ−トメディアを買う、定価通りで高い
。出て6kmで 大洲の IC より入り、松山 IC で降り(カ−ナビに頼った結果こうなった。この間43km
約40分であった、自動 車は殆ど通らない。)本来は国道56号線を内子で(11km)右折し県道381号線に
入り15kmで落合で左折し、16kmで信号機を右折していく予定だったが、時間的に高速道路の方が
早いのかも。信号機で右折して県道12号線に入り、約10km右手に岩屋寺がある。この寺は参道が
長い、約1kmくらいかと思った。
 山全体が本尊という深山幽谷の山寺という。山門から220段余りのきつい石段を登った岩峰の中腹。
この わずかな敷地に本堂、太師堂、仁王門が並んで立つ、いずれも行場らしいたたずまい。伝説による
と、弘仁6 年(815)に弘法大師がこの山に入ったところ,法華仙人という空を飛ぶ神通力をもった女人が
いて、大師に深 く帰依して当山を献上し大往生をとげた。そこで大師は木と石の2体を刻み、木造を本堂に
石造を山の岩石の 中に絶対秘仏として封じ込め、山全体を本尊にしたとされる。

  

  

  


44 大寶寺 

 岩屋寺から12号線を戻り 県道33号線に出る手前(0,6km位)で左折(0.25km)、進んで更に右折する
と大 寶寺ガある。
 用明天皇の時代(在位585〜587」、明神右京・隼人という兄弟の狩人が、十一面観音菩薩の尊像を発見
し 安置したのが始まり。大宝元年(701)に文武天皇の勅願により創建され、その年の年号にちなんで
大宝(寶)寺と称した。その後弘法大師が来錫して密教山密を厳修、札所に定めたが、火災により寺は
焼失。平安時代末に後白河天皇が勅使を送り、病気平癒を祈願すると病が治っため、妹宮を住職として
再興勅願寺とした。

  



46  浄瑠璃寺

 大宝寺から取りつけ道路を戻り県道12号線にでる。左折して約1.5kmで県道33号線にでる。右折して
約17kmで県道379号線と合流し、5kmで信号機を右折して県道23号線にでて、約1.5km再度右折して
県道149号号線に入り約6kmで右側に浄瑠璃寺がある。
 和銅元年(708)行基がこの地に立ち寄り、薬師如来を刻んで本尊とし、さらに日光、月光の両菩薩と
十二神将を刻んで安置したのが始まり。後、弘法大師が来錫して堂宇を修復し薬師如来の別名、
瑠璃光如来にちなんで寺号とした。境内には、大師が加持したという樹齢1000年を越す天然記念物の
イブキビヤクシンがある。

  

  

47 八坂寺 

 浄瑠璃寺より県道149号線を戻り、約0.5kmで取りつけ道路を左折、約0.35kmで八坂寺である。
 縁起によれば、役行者(えんのぎょうしゃ)が開基の古刹。文武天皇の勅願によって伊予の国司
越智玉興(おちたまおき)が伽藍を建立した。このとき八つの坂を切り開いて建てたことから八坂寺と
名付けたと伝える。
本尊の阿弥陀如来坐像は、平安中期の名僧恵心僧都(えしんそうず)の作といわれているが秘仏だ。

  

  

48 西林寺 

 八坂寺より取りつけ道路を0.35km戻り、左折して149号線にでて約5.5kmで県道23号線を右折、
約1kmで信号機で左折、松山道をくぐり、県道193号線の交差点(信号機)を越え(この間280m)にて
右側に西林寺ガある。
 内川の清流を渡り、石段を下って仁王門くぐる。縁起では、行基が伊予の国司・越智宿弥玉純
(おちのすくねたまずみ)を借りて徳威の里(松山市小野播磨塚当たり)に寺を建立、十一面観世音菩薩を
刻んで本尊としたのが゙始まり。後に弘法大師が国司の越智宿弥実勝とともに寺を現在の場所に移し、
国家安泰を祈願する道場にしたという。

  

  

49 浄土寺

 西林寺より出て右折して県道193号線に出て国道11号線を突っ切り、県道334号線に出て
(この間2km)左折し、1kmで信号機があり右側に浄土寺ガある。
 浄土寺というのに阿弥陀様でなくなぜかお釈迦様。8世紀半ば孝謙天皇の勅願により恵明上人によって
開基された。このとき行基が刻んだ釈迦如来を本尊として祭ったのが始まり。

   

  

50 繁多寺 

浄土寺から県道40号線を信号機で右斜折、約1kmで取りつけ道路を右折、約500mで右側に繁多寺が
ある。
 海が見える小高い淡路山の中腹に立つこの寺は、地元の人から「畑寺」と呼ばれる。山の上にあった
奥の寺に対して、里の畑の中にある寺という意味だ。孝謙天皇の勅願により8世紀半ばに行基が開基。
本尊の薬師如来もも刻んだとという。後に弘法大師が再興、現在の名称になったと伝える。

  

  

  

51 石手寺 

 繁多寺から取りつけ道路を右折して県道40号線に右折して入り北上  kmにて橋を渡って、
信号機(これから国道317号線)直進し100m行って右折し、更に100m行き取りつけ道路に入り
間もなく右折して信号機の手前で左折し(取りつけ道路)、更に80mで左折石手寺ガある。
道後温泉にも近く湯治客で賑わう札所で寺域は66,000uと広大。国宝の仁王門を入ると、子規が
「秋風や何堂 彼堂 弥勒堂」と詠んだ伽藍が立ち並ぶ。縁起では、聖武天皇の勅命で伊予の国司・
越智玉純が鎮護国の道場として伽藍を建立し、安養寺と名付けた。後、行基が本尊の薬師如来像を
刻んで開基。さらに弘法大師が真言宗に改めた伝える。平安時代に石手寺と改名。

  

 道後温泉の大和屋本店に6時半頃到着、地下に駐車。フロントに行きキ−を貰って部屋に入る。
部屋は8帖で1人では勿体ないと思う。食事も沢山あって豪華、隣に能舞台ガあって、お客は吾1人、
気の毒である、それでも、ひととおり舞った。疲れているので風呂に入り床に着く。