その7   平成16年9月22日〜23日

52 太山寺 

 大和屋を出て左折し、道なりに進みカ−ブして西へと進み約4.5kmで国道4387号線にでて、2.5kmで
交差点を右折して北上500mで信号機が゙あり、それから直進し約800mで信号機での交差点を右折して
県道183号線にでて、取りつけ道路右折して500mで太山寺である。
 立派な本堂は鎌倉時代に建立されたもので、和様、唐様、天竺様が巧みに組み入れられ、国宝に
指定されている。縁起では、用明天皇2年「586)に豊後の国の真野長者が、海難を逃れたお礼に、一夜で
建立したのが始まりとある。天平11年(739)には、聖武天皇の命により行基が唐から得た十一面観音の
小像を5尺(約1m50cm)の観音像の胎内に納めて本尊とした。

  



53 円明寺  

 取り付け道路から出て左折して1.8kmで県道39号線と合流して、信号機から100mで左折して
取りつけ道路に入りすぐ円明寺である。
 縁起では、行基菩薩が阿弥陀如来像を刻み、聖武天皇の勅願所として和気(わけ)の海岸にお堂を
建てて安置したのが開基。江戸時代初めに和気の豪族、須賀重久が今の場所に伽藍を再興した。

  

  

54 延命寺 

 取り付け道路をでて左折し、内宮の交差点(約1km)で国道196号線に出て、信号機で右折して
約1kmで右折して約34kmで国道196号線と別れ県道に入り、0.8kmで信号機(手前の角に今治延西
郵便局)左折し県道38号線に入り0.2kmで取り付け道路を右折、0.4kmで左折すると延命寺である。
 元は円明寺といい53番札所と同じ名前だったので、明治初年に延命寺と改名された。大日如来の
宝冠をいただき、大日如来と合体しているという珍しい像。縁起では、行基が来島海峡を一望する絶景の
地、近見山に不動明王を刻んで本尊としたのが開基。後に弘法大師が七堂伽藍が整った立派な寺へと
再興した。

  

  



55  南光坊 

 延命寺をでて(0.5km)県道38号線に出る。左折し約0.4kmで広い交差点にでて直ぐ左側に南光坊が
ある。
 瀬戸内海にある大三島にある大山祇神社の別宮として建立。88ヶ所で唯一「坊」の名が付く寺。
航海安全を祀る大山祇神社へは、海を渡って行かなければならず不便なため、大宝3年(703)に
南光坊を含む8つの坊がこの地に移された。後に、弘法大師が四国巡礼の際に霊場とする.。

  



56 泰山寺 

 南光坊から出て広い道を右折東進し0.5kmで右折し国道317号線にでる。右折して2.2kmで片山交差点に
でる。右折して0.35km行き左折、取り付け道路に入る、約0.5kmで右0.1kmで泰山寺である。
 かって梅雨の時期になると毎年のように蒼社川が氾濫し、多くの人命を奪っていた。村人は悪霊の仕業と
恐れ、人取川とよんでいた。弘仁6年(815)この地を訪れた弘法大師は、苦しんでいる人々を助けようと
村人を指導して堤防を築き、河原に建てた壇で土砂加持の秘法を行った。その満願の日に現れた
延命地蔵の姿を刻んで本尊として、泰山寺を建立。

  

  

57 栄福寺 

 泰山寺から取り付け道路を片山交差点にでて約0.6kmで右折、約2.7kmで玉川分署(消防)があり、
通り過ぎて0.1kmで取り付け道路に入り0.35kmで左側に栄福寺がある。
 9世紀初頭に嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開いた寺。四国巡錫中の大師が寺の周辺で海難事故が
多いと知り、府頭山で風波海難事故の平穏を祈願して護摩供養を行った。満願の日に海は穏やかになり
まばゆい光とともに海中から現れた阿弥陀如来を本尊とし堂宇を建立。



58 仙遊寺 

 栄福寺より直進(栄福寺の方へ曲がらず)約2.5kmでやや広い道にでる。これから山道である。
約0.5kmで仙遊寺である。
 天智天皇の勅願により越智守興が建立したのが始まり。本尊の千手観音菩薩は天智天皇の
守護仏で、海から竜登川を昇ってきた女の竜が一刀刻むごとに3度拝んで造りあげた竜女1刀3礼の作と
いう説もある。
作礼山はこれに由来する。その後、阿坊仙人という行者が40年間ここで修行していたが、ある日仙人の姿
が雲ととたわむれるガ如く消えてしまったことから仙遊寺と名付けられた。平安時代に弘法大師が再興。
  

59  国分寺 

 仙遊寺よりやく3kmで栄福寺の前のY字路に出て、約2kmで国道196号線にでて左折して
0.1kmで右折して約2.5kmで取り付け道路に入り0.12kmで国分寺である。
 聖武天皇の勅願により、全国各地に建立された国分寺。なかでもここは天平13年(741)の開基当時は
七堂伽藍が整った豪壮な寺だった。東塔跡といわれる花崗岩の礎石が残っていることからもその広大さ
が想像できる。第3世住職・智法律師の時代に当寺を訪れた弘法大師は、寺に五大尊の絵像一幅を残し
弟子の真如も2年ほど滞在した。

 

博子コメント
ピンぼけなので判読できなかったが、私が行ってみて国分寺と判明。右は握手大師様。
いちいち三脚を立てて撮ったとは思えないので、多分そばにいた人に撮影して貰ったの
だろうと思う(確認しておけばよかった)。不慣れな人に撮って貰ったのかこんな状態だが
証拠写真の意味で載せておく。


60 横峰寺 

 国分寺をお参りしたのが3時位だったから、もう一ヶ所回れると思い横峰寺に行こうということにして、
国分寺を出て左折して県道156号線にでて、約3kmで信号に出て県道38号線を約1.5kmで
国道196号線にでて約16kmで国道11号線にでる。右折して約2kmでJRの予讃線の伊予氷見
(いよひみ)の駅前の信号でを右折し、県道42号線入る。約3.5kmで県道42号線にでて右折し
約0.35kmで右折取り付け道路に入る、この道は確か道路維持のため¥800とられると思う。
池の端を周り相当距離が長い、約5.0kmほどあり、今工事中で一旦行って見たけれどカ−ナビを見ると
だんだん離れて行く様なので道が違うのではと思い、途中で引き返したらさっきの工事用の看板まで戻った
ので、引き返し行くことに決めた。2kmほど登ったら駐車場にでた。やれやれ。
駐車場からお寺までが遠くて約0.5kmくらいあり、下ってお寺である。お寺についた頃霧が
かかっていて遠くがわからない状況だった。

  

博子コメント
しかし3時過ぎの悪天候によくまあ行ったものだと思う。駐車場はそれなりに広いけれど
そこまでの道は車幅いっぱい。いくら軽とは言え初めての道で、対向車には出会わなかった
のだろうか?日の短い時でなくてよかったが、私たちのように11月末では帰りには
暗くなってしまっただろう。
「駐車場からお寺までが遠くて約0.5kmくらいあり、下ってお寺である」とさらりと書いて
あるが、行きが下りなら帰りは上りであり、これとて80歳の身には決して楽ではなかったと
思う。行ってみようのチャレンジ精神でつらくはなかったのだろうか?そんなことを考えると
涙が出てくる。
多分シャッターを押すよう頼める人がいなかったのだろう。建物の写真しかなかった。


お寺から帰りもとの道を国道11号線に出て今治駅前の白石ホテルに入る。

 ホテル白石でフロントにJTBのカ−ドを持っていったが、知らなかった。泊めてもらえたので助かった。
朝7時に出たいという、道を丁寧に教えてくれた。晩飯も朝飯もあったと思う。

9月23日

 今日は帰る日である。今治を7時00分に出て今日のうちに静岡まで帰れるかどうか、心配である。
今治ICから入り、しまなみ街道を一気に進み、途中SAで一服し写真を撮り、海峡を渡って福山から
山陽道に入り、速度110kmで山陽道を走った。茨木JCTを越して名神高速に入り、なお休まずに養老辺りで
ガソリンを補給しようと思ったが、通り過ぎたので次のSAでと考えた。ガソリンが無くなるのでは
ないかと心配であった。名古屋を過ぎる頃は1/5(最終の目盛り)位になっていた。
次は上郷までもつかどうか・・・。何とかもったので、食事をして6時くらいまでには家に着くように帰れると
思い、やれやれという思いであった。静岡のICから降り5時過ぎに家に着いた。今日は一生懸命走ったと
思う。