その8   平成17年4月29日〜30日


第3回 四国88ヶ所巡り 

 朝6時40分家を出て静岡 IC に7時に入り一路四国に向う。名古屋付近で混んでいると予想していたが、
渋滞はなくスム−ズに行った。東名高速を抜け、名神高速を通り、茨木JCTから中国道に入り
宝塚辺りで一寸混んでいたがたいしたこともなく、神戸JCTから山陽道に入り、倉敷JCTから早島ICを通り
中央自動車道に入った。与島PAで一休みして写真を撮って、坂出ICから坂出JCTで今治方面に曲がり、
西条で降り国道11号線に降り、国道11号線を東進して(約7km)信号で左折して0.7km湯の谷温泉である。
駐車場は十分ある。午後6時頃到着した。この宿は温泉宿であるけど、付近の住民も風呂に入りに来る。
泊まる人は4組ほどあったようだが、食堂での顔を見る限り地方の旅館の様だ。9時30分頃就寝。

 

  

  

  

64 前神寺 

 湯の谷温泉から上にでて、右折して0.6kmで左折0.3kmで前神寺ガある。
奈良時代の初め、四国第一の高峰、石鎚山で修行中の役行者の前に蔵王権現となって現れた阿弥陀
如来と薬師如来を祀ったことが始まり。その後、桓武天皇が病気平癒を祈願して成就したことから
七堂伽藍を整え、金色院前神寺となった。以来、皇室との縁が深く、歴代天皇が帰依し寺を保護してきた。
ここは石鎚山修験の総本山でもあり、弘法大師が訪れたときに求聞持法を修し、霊場に定めたという。 

  

63 吉祥寺

 前神寺をでてそのまま南進し0.5kmで国道11号線に出る。左折して0.5km行って予讃線の氷見駅
(ひみ)の西側のJR線と国道の間にあるのが吉祥寺である。
 国道11号線沿いの住宅街にある境内に本堂、大師堂が立つ。弘法大師が四国巡錫中に光り輝く檜を
発見。即座に一刀三礼してして本尊の毘沙聞天を刻み、寺を創建したと伝わる。門柱に「四国唯一毘沙聞
天鎮座」とあるように、毘沙聞天が本尊なのは88ヶ所中ここだけ。

  

62  宝寿寺

 吉祥寺より国道11号線に出て右折し、約1.5kmでJR予讃線、伊予小松駅の西側に国道とJR線に
挟まれた地域に宝寿寺がある。
 聖武天皇の勅願により、伊予の国の一宮の法樂所(経を上げる所)として白坪の里に建立されたのが始
まり。弘法大師が石鎚山に向う途中、光明皇后をイメ−ジして本尊の十一面観音を刻み安置したことから
霊場となった。

  



61 香園寺 

 宝寿寺から国道11号線にでて右折し、0.2kmで信号機より左折して南下し、0.25kmで右折して0.8km進み
取り付け道路に入り0.15kmで香園寺である。
 用明天皇(在位585〜587)の病気平癒を願い、聖徳太子が建立。このとき太子の前に現れた金衣白髪の
翁が、本尊の大日如来を安置したという。山号の由来は、巡錫中の弘法大師が寺のふもとで身重の女性
が苦しんでいるのを見かけ、唐から持ち帰った大日如来像を本尊の胸に納めて梅壇の香を焚き、護摩修法
を行って無事に男の子を出産させたとという言い伝えによる。

  

65 三角寺 

 取り付け道路をでて左折し0.8kmで信号で左折し、国道11号線に出る。約2kmで高松道の入り口である。
伊予小松から三島川之江まで焼く50kmである。三島川之江で左側に降りて県道124号線にでて、左折し、
(この間約1km)左折して約1.5kmで取り付け道路を入り約7kmで三角寺である。
 標高450mの三角寺山の中腹に立つ。弘仁6年(815)弘法大師が十一面観世音菩薩を刻み本尊として
安置し、三角形の護摩壇を築造。そこで21日間、降伏護摩の秘法を修めた。境内の三角の池は護摩壇の
跡と伝えられる。開基はそれよりさらに100年前の天平時代(729〜749)。聖武天皇の勅願により弥勒菩薩
の浄土を模して行基が創建したとされる。

  

  

  

  

66  雲辺寺 

 三角寺をでて三島川之江ICまで約10km、三島川之江ICより松山道に入り、三島川之江JCTで道を
間違え徳島道に入ってしまい井川池田まで行き(途中で折り返す訳に行かない。)降り、また乗って
三島川之江JCTまで戻り(この間43km損をした)松山道に出る。大野原で降り国道11号線にでて右折
1kmで右折して2kmで県道21号線にでて右折して、約3kmで左折して取り付け道路に入り、約2kmで
ロ−プウェイのり場に出る、
ロ−プウェイは20分おきに出る。それに乗って約10分で山頂駅につく。これから約10分で雲辺寺である。
 延暦8年(789)、善通寺建立の材木を探すため、16歳の弘法大師が登山をしていたところ、秀麗な山の
趣に心を打たれ、一夜にして堂宇を建立した。その後、嵯峨天皇の勅願により再び登山した大師が千手
観音菩薩を刻み、本尊として安置。仏舎利と毘慮遮那法印を納めて開基したと伝えられる。以来七堂伽藍
が整備された12坊末寺8カ寺という巨刹となる。88ヶ所中最も高所(921m)にあるこの寺は、僧侶たちの
学問道場としても栄えた。

  

  

  

  



67  大興寺 

 雲辺寺より降りてロ−プウェイ乗り場駐車場より約2,5km戻り、県道8号線にでて右折して北上し、
約3kmで辻東の信号より右折して、国道377号線を5.kmで信号の手前0.2kmで右折して、1.2kmで左側
に0,15kmで正面に大興寺ガある。
 嵯峨天皇(在位809〜823)の勅願により弘法大師が熊野三所権現鎮護の霊場として開山、薬師如来を
刻み、本尊として安置したのが始まりと伝える。珍しいことに、本堂の右側に弘法大師堂、左側に天台  
大師堂が並んでいて、天台と真言が同じ寺に共存している。中世には真言24坊、天台12坊の計36坊が
軒を連ね、2大宗派の修行道場として大いに栄えていた。

    

  

68  神恵院

 大興寺をでて右折、1.2kmで国道377号線にでて1.5kmで山本町辻の信号で左折し、県道6号線にでて
左折し約6kmでJR予讃線を越し、直ぐ左折して観音寺駅前で約1kmで右折し、約2kmで信号機で
2km、信号で右折しで3kmで三間橋を渡るエッソのガソリンスタンドを過ぎて左折し1kmで左折して
神恵院と観音寺ガある。右折左折が多くて解りにくかったかな?カ−ナビに頼って行けば最終的には目的地に連れて行ってくれる。
 69番 観音寺と同じ境内にある。神恵院。もとは、琴弾八幡宮の本地仏の阿弥陀様を祀っていた本地堂
だった。縁起では琴弾山の山頂で修行していた法相宗の日証上人が、海に浮かぶ1艘の船を発見。船の
中から琴を弾く音と宇佐八幡大明神と名乗るお告げが聞こえたことから、舟と琴を山頂に祀り琴弾八幡と
命名。後に弘法大師が阿弥陀如来像を描いて安置し、札所となる。

  

69  観音寺 

 奈良時代に境内中央に鎮座する琴弾八幡宮の別当寺として創建された。大同2年(807)に、巡錫中の
弘法大師が神宮皇后は観世音の生まれかわりであるとして刻んだ聖観世音菩薩を本尊として安置し、
札所に定めた。このとき堂宇の周辺に7種の珍宝を埋めたという話が、七宝山という山号の由来である。

  

70  本山寺 

 観音寺からエッソの信号の交差点を(0.5km)まで戻り、県道を東進し国道11号線の信号の手前
約0.1kmから約2.5kmで本山寺がある。
 平城天皇の勅願により弘法大師が建立したのが始まり。わずか一夜のうちに本堂を建てたといわれて
いる。本尊は弘法大師が一刀三礼で薬師如来、阿弥陀如来とともに刻んだ馬頭観世音菩薩で、馬頭観音を
本尊としているところは、88ヶ所中唯一。本山寺は幸運にも戦禍から免れた。そのため貴重な建造物が多
く残り、中でも本堂は鎌倉時代建立当事の姿を留め、香川県内で唯一の国宝建造物に指定されている。

  

  

 これで終わり観音寺ホテルに泊まる。全く普通のホテルで晩飯もなく朝飯もない。通りを100m行き
飯屋あったので、そこで食べる。酒を飲んでいる2人がいて、五月蝿い。でて通りを歩いて明日の朝の
食べ物をコンビニで買っておいた。朝それを食べて7時半頃出かける。