東日本大震災被災地を巡って 仙台    26.10.14

  仙台駅


ホテルに行き、チェックインしてから、それでもせめて仙台城くらいは行っておかなくてはと
バスに乗りました。途中東北大学を通りましたが、大学内に幾つも停留所があり、さすが大きい。
しかもキャンパスはここだけではないし。
バスを降りましたが、曇っているのと夕暮れどきなので、ほとんど人がいないのと寒いので
ざっと見て回ってお終いにしました。

  

  この写真くらい撮らなくては。兜がちょっと切れました。

  

右は展望台にあった案内図です。左の写真には市役所・県庁は入っていませんね。



さて、翌朝8時に予約してあった永楽交通のタクシーに、ホテルに来て貰いました。

  

運転手さんは写真集なども見せてくれ、まずは七ヶ浜へ。
この写真を撮ったのは9時なので、1時間走ったことになります。地図を見ながらではないので
どこをどう走っているのかちっともわかりません。
地図を見ると仙台駅からは東方向ですね。七ヶ浜町の被害は菖蒲田浜・花渕浜・吉田浜など
太平洋に面した地区の住宅が壊滅的な状態だったそうです。

七ヶ浜で

  

前方の高台の家は難を逃れたようです。

  

                           この辺りが菖蒲田浜なのですね。

どこをどう撮ったらよいか・・・わかりません。それと走っている途中に、「止めて下さい、
写真を撮りますからともなかなか言えず。

七ヶ浜をぐるりと回ってくれたようですが、途中で見た仮設住宅が気になりました。
それから仙台港へ向かいました。

  

途中、ソニーやキリンビールの工場がありました。震災の時にはビールの缶が流れてきたとか・・。
港への引き込み線、線路の砂利は新しい物ですから、すべて震災後のものですね。
やっぱり鉄道を見ると撮りたくなります。国鉄マンだった父の血が騒ぐみたい。
タクシーの窓越しの撮影なのでガラスに内部が写ってしまっています。
港近くはもう震災の被害は何も感じられない状態でした。
企業の復旧は早かったと運転手さんが言ってました。
右は仙台港フェリーターミナルです。あとで地図を見るときの目印にと撮りました。

それから10分ほど走って荒浜へ。



この家、一見、「被害が少なくてよかった」と思ったのですが、1階のドアもサッシも取れてしまっています。
このお宅はどうかわかりませんが、ぽつんと取り残されている家は、家族全員が亡くなったため
撤去もできないというケースがあるそうです。

仙台市宮城野区蒲生

  

最初にお参りした慰霊塔です。       中野小学校跡地

  

                              お地蔵様

お地蔵様も津波にあって頭が落ち、台座の向きも変わってしまったそうですが、「北蒲生の町づくりを
考える会」で修復し、屋根をかけたそうです。蒲生地区の死者は151名。


  

「馬魂碑」 支那事変出征名馬 とあり、下に「弥生号」「紅泉号」などと馬の名前と持ち主(育て主?)の
名前が書いてあります。静岡の陸軍墓地に「馬犬鳩」の慰霊碑がありますが、戦死したのは人間だけでは
なかったこと、また我が子のようにかわいがって育てた馬への愛情が感じられます。
左側の三つの小さい碑には「馬頭観世音」と彫ってあります。

  

東日本大震災により、蒲生地蔵様の首が落ち、土台が崩れ、地蔵様の向きも若干東向きに移動されました。
震災後、地元有志の方々が地蔵様の首を修復、周囲を整地整頓なさいましたが、屋根がなく寒そうな姿で
2年数ヶ月が過ぎてしまいました。
この度、「北蒲生のまちづくりを考える会」として、地蔵様に屋根をかけ、土台の改修工事を、蒲生町内会長の
承認を得て、更に、町内有志の方々のご協力を得て、屋根取付、土台改修、樹木植栽まで行うことができました。
【中略】
いづれ、地蔵様も高砂神社も移転か、解体か、行政の胸三寸でありますが・・・「北蒲生のまちづくりを考える
会」としては、小さな樹木も時が経てば花が咲き、実がなり、虫がつき、鳥が寄り、林ができ森ができるのが、
自然の倣いに従い、蒲生の地が再び自然豊かな地になるよう願い行動し、活動しています。  
【後略】

                                               北蒲生のまちづくりを考える会」

と書いてありました。せつせつとした文章に心打たれました。


蒲生から10分ほどで荒浜へつきました。



  

                           荒浜小学校

  

若林区荒浜 観音像慰霊の塔と慰霊碑 
ここ深沼は松林があり、海水浴場として仙台市民に愛されてきたそうです。



慰霊碑周りの風景             亡くなった方たちのお名前が刻まれています。
                         運転手さんトーが写ってしまいました。



                           土台だけ残った家



各部屋の鍵だったのでしょうか・・・。せつないです。

閖上へ向かいます。



名取市 閖上日和山神社です。テレビでは何度も見たところです。
右写真の三角屋根の四阿の左側は仮の社務所で巫女さんがいらっしゃいます。







お宮さんでお経を唱えるわけにもいかないので、こちらの慰霊碑の前で読経と
御詠歌をあげました。







左側の二本の塔婆は法華宗と書いてあります。右の塔婆はわかりません。


 
すぐ近くに名取市で建てた慰霊碑があります。



この慰霊碑は「種の慰霊碑」から発芽した「芽生えの塔」が上へ上へと伸びていく様を表現して
います。これは震災で犠牲になられた方々が天へ昇っていく姿をイメージしたものであり、震災を
克服し復興への決意を新たにする人々の姿を重ねて表現したものです。
中略
盛り土の部分を含めた慰霊碑の高さは、この地における津波の高さに合わせ、8.4mとしています。 

  佐々直というかまぼこやさんだそうです。

こうして見ると被害にあってないように見えますが、残っているのは建物の形だけ。

閖上中学校です。




壁中央の時計は2時46分で止まったまま。



壁のちょうど真ん中くらいに津波の後がうっすらと残っています。
近くに資料を展示したプレハブがありますが、今日は休みでした。



仮設の商店街、こちらも水曜定休。



倒れてそのままになったガードレール、ぽつんと残った家。

セイタカアワダチソウがびっしりと茂っています。
仙台では浄化センターが津波の被害にあったため、1年半下水道が使えなかったと
運転手さんが言ってました。不便だったことでしょう。

4時間、お世話になって、仙台駅に送ってもらい、12時の東北本線に乗りました。
松島で下車しましたが、御詠歌大会参加者らしい人が誰も降りないいので、一瞬不安に
なりました。12時半には会場の大観荘のバスが来ているはずなのに見えないし・・・。
ホテルに電話をかけた瞬間にバスが来ました(^_^;)。

途中の松島海岸駅では同じ静岡の他支部の参加者が大勢乗りました。
千石線で来たようです。

会場のホテルについて1時半過ぎに遅い昼食を取りましたが、昼頃かなり大きい
地震があり、食事中の人たちはびっくりしましたが、ホテルの方たちは「また・・」と
いとも冷静であったそうです。静岡の友人から「地震大丈夫だった?」とメールが
来ましたが、私は電車の中だったのでわかりませんでした。

大観荘は大きなホテルで、方向音痴の私は中で迷ってしまいそうでした。
頭を切り換えて、御詠歌大会に臨みました。続きは↓をご覧下さい。

東日本大震災被災地を巡って  松島から石巻