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私の父、山田康一は平成23年12月20日、母のもとに穏やかに旅立ちました。
だんだん体が不自由になり、しゃべれなくなりましたが、意識は正常でした。
自宅で亡くなったのですが、最後の夜、妹と二人で着替えさせたとき「要領が悪くて、時間がかかり
寒い思いをさせてごめんね」と言ったら、私たちの方を見て涙をぽろぽろ流し、感謝の気持ちを
表してくれました。母亡き後10年間、妹と二人で西国三十三観音巡拝など父と旅をしました。
思い出は数えきれないほどあります。今でも何かの拍子にふと父を思い出します。
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父は車が大好きです。早くに免許を取り、若い頃はバイクでツーリングもしていました。
私が小学校の時、中古のスバル360を購入、家族五人でよくドライブに出かけました。
まだまだ道路を走っている車の少ない時代でした。
思い出はたくさんあります。最初の頃、成田山に出かけたのですが(当時埼玉県浦和市在住)
暖房が効かなくなり、冬だったので寒い思いをしました。
ある年の夏休み、浦和から祖父母のいる岐阜市へ向かいました。
途中、母の実家のある磐田で泊まる計画でした。私が小学校の時、昭和36年くらいでしょうか。
もちろん高速も何もない時代でした。(もしかして中学一年だったかな?とも思います。だとすれば
37年です)
浦和を出発したものの、東京で故障、40年以上前の記憶なので曖昧ですが、どうやら修理できて
無事磐田に着きました。
そして岐阜に向かい、浦和に戻りました。細かいことは一切覚えていませんが、東京で故障したこと
だけは強烈な印象です。だって出発してまもなくのこと、まだまだ先は長いのに大丈夫だろうかと
子ども心に心配になったのです。
このスバルではずいぶんあちこち行きました。今と違い小学校では部活や塾もなく、日曜は私たち
子どもも空いていたのです。車を買う前は、日曜の午後になると父と私たち子どもとで自転車で
近所に出かけていました。見沼用水の辺りなどのどかな時代でした。
そして家族揃って薪割りとか・・・風呂は薪でたいていました。
父は本当にまめに車の手入れをし、掃除していました。
あれから40数年、何台も乗り替えましたが、母も亡くなり今はどこへ行くにも軽四のことが多いようです。
私もお遍路に行ってきました。3回に分けたうち、2回目までですが、実際に行ってみると、本当に
父はスーパーじいちゃんだったと思います。例えば↓さらりと書いてある32番清瀧寺。
医王山の中腹にある清滝寺へは、呼ばれる八丁坂と呼ばれる参道をみかん畑を縫うように
上がっていく。
私たちはジャンボタクシーの慣れた運転手さん任せですが、カーナビ頼りに初めての道を上って
いくのは決して楽ではありません。
45番岩屋寺だってそうです。
この寺は参道が長い、約1kmくらいかと思った。
と書いてありますが、上りのきつい坂もあり、ハアハア息を切らして上っている人も多いのです。
父のカメラは日時の設定がしていなかったらしく、プロパティをみても撮影時間が初期設定の
ままでした。時間さえわかれば寺名も推察できたのですが、行ったことのない私にはどの寺か
正確にわからず、掲載してなかった横峰寺・国分寺・仙遊寺は判明したので、今回載せておき
ます。また時間があったら全体をチェックしようと思います。
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平成14年3月、5年の闘病生活の末、母が亡くなりました。父はその間ずっと、会社に勤務しながら
妹と一緒に母の世話をしてくれました。母を乗せてはあちこち行っていたのに一人になってしまい、
私たちもなかなか時間を空けられません。そんな中父は思い立って四国八八カ所巡りを計画しました。
全て一人で計画を立て、時間を計算し、エクセルできれいに行程表を作ってあるのにはびっくりしました。
デジカメで写真も撮ってきたので、本人の書いた記録と共に私のサイトにアップすることにしました。
旅行記も全て自筆(エクセル入力)です。
なにぶんにも私も忙しい身、もっとじっくり作成すれば良かったのですが、どうにも時間が取れず
記録と写真を並べただけです。写真もデータだけもらったので、寺名が写っている物はともかく
そうでないものはサイトで調べて写真を確認したり、旅行記から風景の見当をつけました。
間違いがあったらごめんなさい。
それにしてもこの年齢で単独ドライブ、良くやったと思います。こうして丹念に記録を読んでみると
身内の立場としてひいき目に見れば堀江さんの太平洋ひとりぼっちに匹敵するくらいの快挙だと思います。
母が生きていれば助手席に乗って何倍も楽しい旅だっただろうに・・・。
9月21日
9月22〜23日
平成17年4月29〜30日
5月1日
5月2日
5月3〜4日
※父はフルタイムで勤めにいっているので、連休を利用した旅でした。
参考までに父が作った行程表です。